Archive | 10月 2015

労働条件の選定は新社会人の自衛

以前、「労働条件ばかりを見る学生はいらない」という企業の人事の声を取り上げた記事を見かけた。

正直なところ、わざわざ表立って言うべき事ではないのだが、そんな段階にまで至ったのは、企業と新社会人の互いのすれ違いを重なり尽くした結果なのだろう。

かつて、具体的には今の40代世代が新人だった頃だろうか。バブルは崩壊したとはいえ、そこまで資本主義も行き詰っていない頃。この世代の人からは「新人の頃はバカをやったものだ」という声を聞いた。それも笑い話で。ある業界のラジオ番組だったので、そういう馬鹿をやったその人たち社会でそれなりの地位にいる。

神経質になっている今の社会なら新人がバカを1つやっただけで、一気に取り沙汰されてあっという間に周りは接触を避け本人は孤立してしまう。今の企業活動はそういう冷たさの中にあると感じる。

企業の空気になれる時間もない。簡単には成果が出なくなってきた企業活動の中で、次第に新人は適合するパーツかどうかで見られ、選別される。年功序列の崩壊はそういう意識を生んでいる。

そして、その環境の中で生まれたのがブラック企業体質と偏った価値観教育で洗脳する研修だ。それまでの基準と比較して明らかに劣悪な環境をさも当然のように刷り込む。そして、精神を病んでしまおうが価値観の偏りで次の職場で上手くいかなかろうが、何の責任も取らない。

そういったブラック体質や洗脳を行う企業の無責任さで苦しむ新社会人の声が情報社会で明らかにされたからこそ、新社会人になる学生たちは自衛意識を持つ。その行動の1つが労働環境の選定なのである。その選定活動に対して解きほぐす努力が出来る企業こそ、本当の意味で人財育成ノウハウを持ち日本を成長させる企業だろう。

労働環境の選定をまともに受け入れられない企業が多いうえにその改善を見込めないのであれば、日本の資本主義社会は一つの限界を迎えているのだろう。若者は企業に依存しない生き方を探し、その結果として結婚率も出生率も落ちる。しかし、日本が発展しなくても、それは日本の労働社会が作り出した一つの結果であることからは目を逸らす事はできない。

今後も日本の労働社会の賢明な判断を祈りたい。プロミス審査